ディープインパクトが好きだ_その3

ディープインパクトが好きだ_その3

血統評論家の吉沢譲治って覚えてますか?
90年代半ば、後に高松宮杯を制すシンコウキングというノーザンダンサー2×3のクロスを持つ外国産馬がおりまして、こいつがとびきりの気性難。
当時、吉沢譲治は書きました。

「2×3という強いインブリードは、気性の問題を引き起こす危険がある。シンコウキングの気性はその典型である」

自分はダビスタチルドレンでもあったので、この考えを盲目的に信じていましたが、後に読んだノーザンダンサーの伝記的連載でこんな事が書かれており。。。

「ノーザンダンサーは調教するのも困難な、ウインドフィールズ同期生の中でも飛び抜けた気性難でした」

ここで自分は考えを改めます。
シンコウキングの気性難は「2×3」という強いクロスが原因ではなく「ノーザンダンサー」の2×3が先祖の暴れ馬資質を引き出しただけじゃねぇかと。
強調するべきは血量ではなく誰の血なのか。
考えてみれば強い近交による遺伝子の劣化で競馬に適さない気性難が生まれるって、恐ろしく人間本位な考え方です。

そんな感じでこの人の血統評論を読んでいくと、偏って特定部分に固執している上に都合よく解釈している事が結構多い。
山野浩一の片腕として活動していた事もあり血統評論の第一人者的扱いをされることもありますが、一部の血統ファンから馬鹿にされ、笠雄二郎には蛇蝎のごとく嫌われ徹底的に否定されてるのが、吉沢譲治という人。
それなりに評価できる部分もあるけど、負の部分も目立つ典型な人で御座います。


全然ディープの話じゃねぇ。

導入でさらっと与太話を書くつもりが、ガッツリ批判に。
半分死んでる人に鞭打ってどうすると思うが、まだ中間点

「セントサイモンの悲劇」なんて日本でしか通用しない格言をテーマにした「血のジレンマ」なんて本を出している吉沢譲治。
セントサイモン系が短期間の間に収縮したのは確かだが、その原因が「血が増えすぎたから」という一点に固執し他の要素を軽く扱うのは、いかにも吉沢譲治的。
「栄華を極めたハイペリオン系が80年代に収縮したのは何で?」という問題に「ネアルコ系との和合性が低かった」という回答は、事実であるけどそこに収束させるような構成は短絡的な印象が否めない。

「縦に早い種牡馬は横の広がりを欠く」
という格言がある。
ここでの縦は世代交代という意味に近く、横は多様性や広がりを表している。
日本での典型はノーザンテースト。
この系統の主軸はノーザンテースト – アンバーシャダイ – メジロライアン – メジロブライトという流れであったが、ノーザンテーストの種付け開始からメジロブライトの誕生まで、わずか19年で果たしている。
これだけ短い期間に更新がなされると、優秀な牝馬の食い合いが生じて機会を損じる事となり、傍流の活動にも支障をきたし先細りも加速しやすい。
その系統を繋ぐ役割を主に果たすのは、名を挙げる初期の良駒よりも晩年の名馬であり、理想的なのはその種牡馬が退く前後で最良の後継種牡馬に禅定する形。
それは直子でなくても構わないが、最も優秀な後継馬は晩年に出てくるのが望ましい。

セントサイモンにとって真に悲劇だったのは、最良の後継種牡馬でありセントサイモンからリーディングの座を奪い続けたパーシモンが比較的前期の産駒だった上に、15歳で父セントサイモンと同年に早逝してしまった事だと個人的に思う。
パーシモンが死んだ時、他の後継種牡馬の多くは高齢になっていたし、パーシモンと同期のセントフラスキンは活躍が牝馬に偏る典型的なフィメールサイアーであった。

そこそこの繁殖牝馬から優秀な競走馬を生み出せる種牡馬がいなくなった時、襲いかかってきたのは優秀なセントサイモン系牝馬の産駒。
この段階になって増えすぎによる選択の狭さが響いてくる事になる。
JestやFifinellaといったガロピンを持たないクラシック牝馬もいたが、セントサイモン牝馬に勝てるような産駒を引き出せる種牡馬はいなくなっていた。

吉沢譲治はこの点を軽視し「血が増えすぎる→収縮する」と間を全部すっ飛ばしてしまうので「ディープインパクトは失敗する」とか「フランスに持って行くべき」なんて事が書けてしまった。
サンデーサイレンスが亡くなっている段階での種牡馬入りは、タイミングとしてこれ以上無い形だったし、最晩年の馬こそ手元に置いておくべきなのに。


以上、前置き終わり。

なげーよ。
自分で書いてても呆れるよ。

ってな事で種牡馬ディープインパクト。
その活躍は記すまでもないが、後継種牡馬の登場は始まったばかり。
主軸と言える種牡馬はまだおらず、これから5年は本当に勝負となる。
現状はパーシモンが亡くなった頃のセントサイモン系と被る面が多々あり、ディープインパクト系として考えると状況はシビアというのが率直な印象である。

残された産駒から、父に匹敵する成績を挙げるスーパーホースが現れるのか。
それとも、すでに競走馬として活躍している馬が種牡馬としてそれ以上の目覚ましい成績を残すのか。
もし、その2つが叶わなかったときには?

ロードカナロアの時代が10年以上続くことになるのであると思う。
でも、それが血が増えすぎたが故の結果かと言われれば
「そんな簡単な話じゃねぇよ」
という回答になる。
でも、今は悲観的にならず未来を期待したい所ですね。


本題終わるのはえーよ。
ディープインパクト産駒の未来を書くつもりが、吉沢譲治大批判キャンペーンになってしまった。
何せ、種牡馬ディープインパクトの話は道半ば。
評価し語るのは、まだまだ先ですからね。

無理やりいい話風に締めた所で、この項おしまい。