降級制度を廃止する理由と疑問

地方馬の出戻り

突然であるが、JRAと地方のお話である。
昭和の時代、JRAと地方競馬には高い壁が存在していた。
交流競走は数えるほどで、JRAから地方に移籍した馬がJRAに復帰する事は出来なかった。
この壁が大きく崩れたのは1995年から始まった交流拡大策である。
最も大きな変化は大量に創設された交流競走であったが、JRA→地方→JRAという出戻り移籍が条件付きで認められるという、地味ながら結果的に大きなインパクトを残す改革も行われている。
ただし、開放当時は地方競馬で最低5戦し必要な賞金を加算するという、それなりのハードルが設けられていた。
地方競馬の馬資源に配慮したとも言われるが、とにかく地方からJRAに復帰する馬はごく一部に限られていた。
しかし、JRAはこの条件を2002年から地方で1勝すれば復帰が可能と大幅に緩める改正を決定。
前々から議論していたのか、はたまた除外で満足に使えぬまま地方へ転出した馬の取って付けた救済策なのかは不明であるが、結論から言えばこの改革は最悪のタイミングであった。

管理枠の拡大で混みつつあった500万下に大量のマル地馬が流入したのである。

除外ラッシュの火の手が500万下も覆い尽くし、未勝利戦同様の機能不全に陥ってしまったのである。


コメント

  1. ななし より:

    >その一面が、現在まで続く除外ラッシュである。

    言いたいことはわかりますが、未勝利と500万下の除外ラッシュは1990年代前半には既に競馬雑誌などで問題視されていました。
    2000年代にメリットシステム制が開始されるずっと前から未勝利と500万下は除外だらけでした。
    その結果、JRA所属馬の出走機会を確保するため、JRA交流競走が1994年から始まりました。

  2. ななし より:

    そもそも新馬・未勝利のフルゲート増加は未勝利戦終了時期の繰り上げ(昔は11月の福島開催までで、今は夏の小倉・新潟開催で終了)やJRA交流未勝利戦の減少(これはJRAの予算削減や地方競馬の廃止が原因)なども原因となっているので、一概に管理頭数の増加のみが原因とは言い切れない部分がある。

    この記事では全く触れられないけど、除外ラッシュの一番の原因は外厩の充実でしょう。
    昔は外厩がほとんどなかったから、休養明けの馬など、馬房にいてもすぐに使えない馬が一定数いたけど、今はそんな馬は馬房に置かない。
    外厩がほとんどなく、すぐに使えない馬が馬房にいた時代ですら除外だらけだったので、2000年代初めに管理枠を増やさなくても、地方競馬からの出戻りを条件を緩和しなくても結果は同じだったと思う。

    JRAには競馬法改正して1日12R制限を撤廃するという考えはないのかな?
    除外問題を一気に解決する名案だと思うのだが。

    • Luthier より:

      コメントありがとうございます。

      まぁ、それに対する回答は続編に長々と書いてますのでそちらを見てもらえればよいかと思います。
      簡単に言えば預託枠拡大以前と以後では問題のレベルが違う。
      そんな感じで結論の部分は全くもって同意ですが、その過程に関してはちょっと同意しかねます。
      なぜ外厩が発展したかの理由も含め。