枯れた芸が好きだ

枯れた芸が好きだ

圓生のように最晩年まで衰え知らずで走りきった人もいれば、志ん生や文楽のように自ら高座から去る人もいる。
志ん朝や吉朝は病に侵された後のちょっと痛々しさも感じる映像や音声が残っている。
談志が志ん朝に対して「いい時期に死んだ」という言葉を送ったが、その当人は病と老いに対峙する姿すらも芸人として昇華し観客に見せ付けながら死んでいった。
歳を重ねる事で枯れて良くなるとも評される事もあるが、正直良くわからない。
最近だと鯉昇が齢60を超えて評価されるようになったが、これは鯉八人気の影響なのか鯉昇当人の変化なのかは何とも言えず。

で、枯れるどころか土に還りそうなのがこの御方

2013年秋の鈴本で衰えた野ざらしを見た。
2014年秋の鈴本で人間国宝の認定で気合を入れ直して復活した野ざらしも見た。
それから7年。
先日のBS-NHKでの密着ドキュメンタリーを見たら老いていた
これを「枯れて味が出たね」と評するには厳しい出来で「死ぬ前に見ておけ」とはちょっと言えない。
どうやら、衰えと老いは違うらしい。
これを10年の間に知ることができたのはありがたい話で、そういう意味で見ておいても損はないかもしれない。
でも、小三治という落語家は、そういう形で評してはいけない領域の人でもある。
コロナ禍という箱の空気が歪んだ状態で見るのもちょっと違うだろう。
まぁ、そんな事を言ってる間に十中八九お迎えが来るのも間違いないわけだが、良質の音源や映像が残されていることに感謝しつつ、小三治を聞けたことの幸運を生涯自慢したい所存である。