降級制度を廃止する理由と疑問

制度修正

その後の制度改革は、管理枠の拡大にマル地再転入馬の条件引き下げという2つの拙速な改革によって生じたシステムの歪みを修正することに費やされている。

まず、2003年に未勝利と条件戦に優先出走順位が設けられた。
詳しいルールは外部サイトに丸投げ(リンク)することにするが、ざっくり言えば近走好走馬と除外された馬が優先的に出走できるすると共に、凡走を繰り返すような馬の登録抹消を促すのが目的である。

続いて2006年にはクラス編成にも手が入り、競争条件の引き上げによって行っていたクラス替えを収得賞金を半額にすることによって行う事に改正した。
こちらの変更内容も外部に丸投げ(リンク)するが、肥大化した500万下の調整を行うため、勝っても同条件という流れをほぼ廃して所属クラスの全体的な底上げが図るのが目的であった。
ちなみに、この時は改正時にクラス毎のレース数調整を行わなかったため、一時的に1600万下で深刻な除外ラッシュを招いている。
JRAからすれば「お前らはある程度稼いだんだからとっとと地方に出て行くだろ?」と想定していたのだろうが、当時地方の衰退は加速度的に進んでおり、少ない賞金より充実した手当と出ていく馬は極少数であった。
さすがに今回はレースバランスの調整が行われるだろうが、、、掘り下げた話は別エントリーに回すことにしよう。

また、2012年にはマル地馬の出戻り条件も2,3歳は2勝以上、4歳以上は3勝以上と引き上げられている。JRAとしては更に引き上げたいようであるが、下位厩舎はマル地馬の引受で経営を成り立たせている所も多く、また、弱小馬主としてもJRAで少しでも楽しみたいという意見があったとも言われている。

さらに翌2013年には、この原因の大本となった予備登録枠も3倍から2.5倍に引き下げられている。この時は、改正反対する角居厩舎が2歳馬の引受をボイコットする騒動となったのも記憶に新しい。
このボイコットに関しても色々と語りたいことがあるが、やはり別エントリーに回そう。

また、馬房数の削減も並行して行われており、2019年中には東西で1900馬房ずつまでの削減が完了される予定だ。


しかし、これらの改正を行った現在でも、除外問題は依然として残ったままである。
一口馬主をやっている人は「権利が取れなかったので放牧に出します」という魔の一文に悩まされた経験のある人も多いだろう。
そして放牧から帰ってきても、休み明けで優先権を取れないと除外ラッシュに揉まれることになり、予定通り使えるのは稀。
そして1頭あたりの出走回数は減少したままである。


コメント

  1. ななし より:

    >その一面が、現在まで続く除外ラッシュである。

    言いたいことはわかりますが、未勝利と500万下の除外ラッシュは1990年代前半には既に競馬雑誌などで問題視されていました。
    2000年代にメリットシステム制が開始されるずっと前から未勝利と500万下は除外だらけでした。
    その結果、JRA所属馬の出走機会を確保するため、JRA交流競走が1994年から始まりました。

  2. ななし より:

    そもそも新馬・未勝利のフルゲート増加は未勝利戦終了時期の繰り上げ(昔は11月の福島開催までで、今は夏の小倉・新潟開催で終了)やJRA交流未勝利戦の減少(これはJRAの予算削減や地方競馬の廃止が原因)なども原因となっているので、一概に管理頭数の増加のみが原因とは言い切れない部分がある。

    この記事では全く触れられないけど、除外ラッシュの一番の原因は外厩の充実でしょう。
    昔は外厩がほとんどなかったから、休養明けの馬など、馬房にいてもすぐに使えない馬が一定数いたけど、今はそんな馬は馬房に置かない。
    外厩がほとんどなく、すぐに使えない馬が馬房にいた時代ですら除外だらけだったので、2000年代初めに管理枠を増やさなくても、地方競馬からの出戻りを条件を緩和しなくても結果は同じだったと思う。

    JRAには競馬法改正して1日12R制限を撤廃するという考えはないのかな?
    除外問題を一気に解決する名案だと思うのだが。

    • Luthier より:

      コメントありがとうございます。

      まぁ、それに対する回答は続編に長々と書いてますのでそちらを見てもらえればよいかと思います。
      簡単に言えば預託枠拡大以前と以後では問題のレベルが違う。
      そんな感じで結論の部分は全くもって同意ですが、その過程に関してはちょっと同意しかねます。
      なぜ外厩が発展したかの理由も含め。