降級制度を廃止する理由と疑問

登録馬が溢れる未勝利戦

この登録枠の拡大は、日本競馬のありとあらゆる面で変革をもたらしたのだが、このエントリーではレース編成上の問題に絞ることにする。

登録枠を約7400から約13000まで倍近い改革を行った訳だが、JRAとしては撤廃された枠を活用する陣営はごく一部であると想定したと思われる。
先に述べたように、馬の入れ替えに苦労している厩舎がある一方、ペーパー移籍を受け入れるように枠が余っている厩舎も存在してたし、登録頭数自体も年間100頭弱程度の増加で推移しており、JRAとしても改革をした所でその速度に大きな変化は無いと予測していた事は想像に難しくない。

では、結果としてどうだったのか。
先に紹介した中央・地方の在籍頭数表の続きを見てみよう


※中央・地方の在籍頭数(農林水産省・馬関連資料)
※JRAは1月1日時点、地方競馬は「登録馬主及び登録馬に関する統計資料」より

管理枠の拡大前後で1000頭以上もの登録馬が増加しているのがおわかりいただけるだろうか。
JRAの見込みは大きく外れ、多くの厩舎が増えた管理枠を活用するようになったのだ。
枠の拡大範囲と比べればそれ程でもないという見方もできるが、15%近い急激な馬の増加はレース編成にインパクトをもたらした。
まず手始めに、元々出走枠にそれほど余裕のなかった未勝利戦での除外が急増した。

除外数は調べられなかったのでフルゲート率と出走回数という形で代用しているが、出走希望とレース数の需給バランスが崩れる様がわかるだろう。
2001年段階で除外数が前年の4割増という報道もあるが、優先出走ルールが導入されるまで現場では相当な混乱があったとも言われている。
優先権の取れなかった未勝利馬は、状態より出走枠を重要視せざるを得ない状況は現在でも続いているし、状態とレースが噛み合わずに勝ち上がれなかった馬は決して少なくない。

それでも、未勝利戦には3歳の秋開催までの年間約1400レースという区切りがある。
未勝利でも500万下には出られるが、真っ先に除外対象となるし出走手当も減額されるし、よっぽどの見込みがない限り、4歳まで未勝利馬として残るのは稀である。
この未勝利戦システムが一種のリミッターとして機能していれば問題はある程度で収められたのだが、失政を重ねるが如く行われた翌年の改革が、この問題に拍車をかけることになる。


コメント

  1. ななし より:

    >その一面が、現在まで続く除外ラッシュである。

    言いたいことはわかりますが、未勝利と500万下の除外ラッシュは1990年代前半には既に競馬雑誌などで問題視されていました。
    2000年代にメリットシステム制が開始されるずっと前から未勝利と500万下は除外だらけでした。
    その結果、JRA所属馬の出走機会を確保するため、JRA交流競走が1994年から始まりました。

  2. ななし より:

    そもそも新馬・未勝利のフルゲート増加は未勝利戦終了時期の繰り上げ(昔は11月の福島開催までで、今は夏の小倉・新潟開催で終了)やJRA交流未勝利戦の減少(これはJRAの予算削減や地方競馬の廃止が原因)なども原因となっているので、一概に管理頭数の増加のみが原因とは言い切れない部分がある。

    この記事では全く触れられないけど、除外ラッシュの一番の原因は外厩の充実でしょう。
    昔は外厩がほとんどなかったから、休養明けの馬など、馬房にいてもすぐに使えない馬が一定数いたけど、今はそんな馬は馬房に置かない。
    外厩がほとんどなく、すぐに使えない馬が馬房にいた時代ですら除外だらけだったので、2000年代初めに管理枠を増やさなくても、地方競馬からの出戻りを条件を緩和しなくても結果は同じだったと思う。

    JRAには競馬法改正して1日12R制限を撤廃するという考えはないのかな?
    除外問題を一気に解決する名案だと思うのだが。

    • Luthier より:

      コメントありがとうございます。

      まぁ、それに対する回答は続編に長々と書いてますのでそちらを見てもらえればよいかと思います。
      簡単に言えば預託枠拡大以前と以後では問題のレベルが違う。
      そんな感じで結論の部分は全くもって同意ですが、その過程に関してはちょっと同意しかねます。
      なぜ外厩が発展したかの理由も含め。