石坂正が好きだ
野球選手のドラフト、成長、衰えて引退して行くまでを全て見届ける選手が出てくると自分の年を感じるが、調教師のデビューからトップステーブルの座を不動のものにするまで成長し定年引退する、という全体を見送るのはこの人が初めてと言って良いかもしれない。
ダイタクヤマトとダイタクカミカゼの逸話に始まり、アストンマーチャンを夏場に戻して3ヶ月ガッツリ栗東で鍛え上げてスプリンターズSの逃走劇に繋げる仕事人っぷりを見せ付け、最後はジェンティルドンナで日本競馬の頂点を極めたお方。
調教師デビューは遅かったが、やってる事は年相応に昔気質。
開業してまもなく外厩時代に突入している割に、トレセンで鍛える事を大事にしていたイメージが実に強い。
新馬は30日で下ろすことなく乗り込むし、ジェンティルドンナもぶっつけG1の2ヶ月前に戻してトレセン調整。バンドワゴンが復帰する際に半年近く手元でみっちり鍛えていた事はその象徴だ。
ノーザンFの子飼い的に評する向きもあるが、結果を残せばこういうやり方も許すのがノーザンFの懐の深さとも言えるだろう。
笑顔が素敵で長く手元に置いて馬の事を大事にする人であるのだが、その裏では栗東の坂路を15-15で2本とかいう栗東の坂路で一番やべぇキチガイスパルタトレーニングを課していたお方。
今年の引退調教師では松国師が壊し屋と評されるが、石坂師も負けず劣らずの壊しっぷりを度々披露していた事は記しておきたい。
初期のサンライズペガサスやアロンダイトに始まり、オーシャンエイプス、バンドワゴンといった未完の大器にシンハライトにアダムスピーク&アダムスブリッジの兄弟などなど。
3歳春の屈腱炎は十八番。
それだけ有力馬を手掛けていた、という事の裏返しでもあるが、大体がハードトレで屈腱炎という辺りに松国師と似ているドリーマー気質が伺える。
もちろん、それだけのトレーニングを課している、課すことができる、という管理・育成力の裏返しでもあり、その結果がジェンティルドンナやヴァーミリアンといったキングオブキングスの誕生に繋がっている事は間違いない。
現在では息子の石坂公一師が開業しているが、元々羽月厩舎の出身という事もあり調教内容は父と異なり常識的。
攻めて馬を作れる調教師が減るのは間違いのない所で、そこが一番残念である。